と、わたくしは思っています。
私もデッサンから油絵まで、一応それなりには絵を学んできていますが、絵を描くことにはのめり込めませんです。
何故ならば。
私は、飽きっぽいからです。
小学校の時に書いた日記は三日と続きませんでした。
おこづかい帳なんてもっての他。わたくし記憶力だけは良いので、月にどれくらい使っているかは頭に入ってます。管理するほどお金も無いですし。
つまり、変な所で潔癖なので、始めたものは全部綺麗にきっちりやりたくなる性質なんですよ。俗に言うA型気質ですね。
だから、日記とか一日開けると、もう書く気が起きなくなってしまうんです。
それで、ぽい。
まあ、どんな創作にも根性とかって必要ですが、特に絵の場合って、M精神に近いものが必要なんじゃないかなとか思ったりします。
だって、一場面を、延々と何時間も描くんですもの。
私、授業とか、ずっと同じところに座って延々と話を聞いてたりするのって苦手でして、いつもおしりがムズムズしてきます。多分他人の目がなければ、「むぎゃー!」とか叫んでます。
まあ、文章を書くのも根性って必要ですが、小説の場合は私結構平気です。寧ろ平気じゃなきゃ書いていないだろう。
小学校の時から書いている小説が、ここまで無関心にならずに続けていられるのは、私にとっては奇跡に近いですよ(笑)
平気な理由は、キャラクターと一緒に物語を進められるからありきだと思ってます。
キャラクターと一緒にうきうきして、わくわくして、切なくなって、悲しくなる。プロットを書いていくと、段々頭の中で、そのキャラが立ってきて、物語が走り出す。
だから物語が終わる頃になると、何となく寂しくなってきて、筆が進まなくなる(笑) その世界と、お話と、キャラクターとお別れするのが寂しくなる。
私がギリギリになる原因の一端は、ここにあるかもしれません(笑)
私にとっての創ることは、物語と一緒に進んでいく事かなとか最近思ってます。建築とか四年間勉強しましたが、私がそれを創り続けたい、とは思えませんでした。
生を、死を、日常を、非日常を私はやっぱり創りたいんだなあ、と。
恩田陸さんの、「三月は深き紅の淵を」で、「物語至上ありき」という話をキャラの編集者がしているのですが、面白いなあ、と思いました。
物語が走り出して、それを作家が文章にする。物語あっての作家なのだ、的な感じのニュアンスだったと思うのですが、素敵ですよね。
私も、そんな物語に出会いたいものです。
物語と一緒に生きる。それがいつか、現実になれば良いのに、とひっそり思う今日この頃です。
あ、話がそれました(笑)
まあつまり、小説を書くという事は、私にとっては上の感覚に近いので、一場面を切り取る絵を長時間描くことは、私には難しい模様です。
絵描きさん、すごいなあ、と私は尊敬しております。
もっと上手く色塗りが出来るようになれば、またその考えも変わるかもしれませんが(笑)